まっこがレベル999になるまで

甘いものが大好きな踊るメス猫が、かしこさレベルを上げるために経験したことを記録していくブログ

自分と今度こそ向き合う

最近読んだ本だったり、彼氏から言われたことだったり

何となく文字ではわかっていても理解していなかったことが、ようやく自分の中で言葉になりそうな感じになったので忘れないように書いておこうと思う。結果同じような事を書いてるだけなんだけど、5000字超えの大作になってしまった…笑

 

 

「とにかく自分がどうしたいか」

私の人生なんだから私が好きにしていい。周りの目を気にせずに公序良俗に反しないこと、莫大な借金をするとか周りに多大な迷惑をかけることでなかったらやってしまおう。そして仕事とか義務とかでなければ、ワクワクしないやりたくないことはやらない。

とにかく私は何がしたくてどうなりたいか、長期的にも短期的にもこれって言えるようにする。なにか決断を迫られても、私がどうしたいかで決めたらいい。

 

 

「自分の人生を自分で生きる」

自分の言動に責任を持つこと。決断を人に委ねないで自分で考えて自分で決める。委ねてしまうと人のせいにして責任逃れをしてしまうから。私は無意識のうちに曖昧に確認をとったりして相手に責任を負わせようとする癖がある。でもアドバイスが必要な時はちゃんともらう。その上で自分が決めたことって事を自覚して、自信を持ってそれを貫く。誰に何と言われようが、これが私がやりたい後悔しない正しい選択なのだと。後で振り返ってやっぱりあっちがよかったと後悔したり、決め切れずにうじうじして何もできずに言い訳だらけじゃキラキラな人生なんて送れない。

だけど決めるには判断となる基準がいる。その基準のひとつが好きか嫌いか、やりたいかやりたくないか。あとはやる必要があるものか否か。大なり小なり決断を迫られたら周りの顔色をうかがうのではなく、自分自身の声を聞く。自分はどうしたい?もっと大きい夢のためには必要なこと?恥ずかしいとか失敗した時のこととか嫌なことは抜きにして、自分がワクワクしたりプラスになったりすること?失敗したらその時考えよう。先のことはある程度予想はできても何が起こるか分からないし、案ずるより産むが易しっていうように意外と世の中なんとかなっていくから。だからまずは自分が後悔しない選択をするために判断基準が必要なんだ。

 

 

「自分の中にある肯定的な価値観を見つける」

〜したくない、〜になりたくない、私の嫌いなことやりたくないことは分かるけど私が本当にやりたいことが何かよく分からない、と言われたことがある。確かに〜がやりたい、〜になりたいって口に出したことは少ないし、ずっと前に書いたやりたいことリストは〜にならない、〜しないとかそんな否定的で消極的な言葉ばかりで、見返してみると全然ワクワクしないリストになっていた。

読んだ本に脳は否定形を理解できない、というよりは理解するために一度否定する事柄をイメージしてしまうのでそのイメージが残ってしまうと書いてあった。確かに○○を想像してはいけないって否定形で言われてもまずは○○を想像してしまう。だから普段からも肯定的な言い方をするって大事なんだなと思った。やりたいことリストも引き寄せの法則も肯定的な言葉を使うことでイメージの定着をさせているんだなと。

だから否定形で楽しくない無難な将来を思い描くより、~したい、~になりたい、って恥ずかしいくらいの夢を持って私の好きなこと楽しくなるようなことを肯定形で言えるように探そうって思った。やりたいことリストも見返して楽しくなるようなものに作り直したい。

 

 

「なりたい自分を、やりたいこと欲しいものを具体的に想像する」

「ワクワクしてキラキラオーラを出し続ける」

上記の肯定的な価値観を見つけると繋がっているかと。肯定形なイメージを脳に残すことで将来は楽しくてワクワクキラキラ出来るんだよってまずは本気で思うこと。将来に希望がなければやる気も起きないし、何も行動しないから何も変わらない。些細なことでも行動に移して、それが実現して楽しくなってきてまた行動して実現して、それを繰り返していつかなりたいと願った自分になれたり、やりたい事が実現したりするんだろうな。

だから具体的なイメージの想像も大事で、現実とかけ離れていると叶いっこないって諦めたりして結局何も変わらない。だから実現可能な範囲で自分の望みを自分で叶えていく。色々やっていく中でそれが変わっていったっていいんだ。思っているだけで実際やってみると違うことも多いから。思い描いていたことは思いのほか悪かったり、途中で出会ったものの方がよかったり。でもそれも自分がなりたい自分のために決めたことだから受け入れて楽しんでいく。途中がどうであれ本質は変わらないだろうし叶ったらこっちのもんだ。躓いたら他の道を探してもいいしゴールを変えたっていい。とにかく私がワクワク、キラキラ出来るのであればなんだっていいんだよ!

 

 

 

「私の美学は『自分を大切にしてくれる人を大切にする』こと」

私はなんでか、愛されているらしい。思い返せばダンスの練習場で私ひとりの時はお菓子だったりジュースだったりをおじさまやおばさま方に頂いたり、困っていると見知らぬ人が助けてくれたりって出来事があったりする。何となくで他人任せに流されてきたけど、大きな困難もなくそれなりに生きてこれた。全然気づいていなかったけど、周りがいっぱい助けて与えてくれていたからこそ私は楽に何もせずここまで生きてこれたんだなって。大きな決断から日常の些細な決断まで、他人に任せて楽に生きていたんだなって。食べたいものは何でもいいって言いつつ嫌いなものや気分じゃないものだったらちょっと顔に出ちゃう。自分の進路だって何となく楽な方に決めて、転職するきっかけだって母親と友人の言葉がきっかけで。たぶん何も言われなかったら鬱になるか身体を壊して倒れるかのどっちかで辞めることになっていたかもしれない。こうして何かしら助けてくれる人がいるって当たり前のことじゃないんだって思い知らされた。気づかないうちに傷つけて苦労をかけて、与えられたものも当たり前だと思って深く受け止めず感謝もせず傲慢になっていた。だからそれでもまだ私と関わってくれる人たちに感謝したいし大事にしたいなって思った。私は優しくて出来のいい人間じゃないし、他人に興味がない方だから知らん人のことなんてぶっちゃけどーでもい。私の世界のために、私を大切にしてくれる人を大事にして一緒にいたい。私といると楽しいとか、嬉しいとかありがたいとか、私がそうであるように相手にもそう思ってほしい。情けは人の為ならずって言うけど、私は私のために私を助けて甘やかしてくれる人と一緒に居ようと思う。

 

 

「現実的な将来と目先の夢物語ではなく、夢のあるキラキラな将来と目の前の現実を考える」

要約はしたけど彼氏から言われて衝撃を受けたことNo.1(2020年上半期まっこ調べ、笑)

確かに私の思考回路そうなってるわ。楽しくもない失敗したらどうしようって不安だらけの将来を考えて、どうせ私なんかって思うから何もやらない。そのくせ夢見がちだから目の前の奇跡に期待するけど、何もやらないから当然何も起こらなくて諦めの境地に至ってやる気を失うのループ。あとは現実味の全くない私TUEEEEE!!!妄想をするだけ。だからこんなだらだら他人任せの夢見がちぐうたらっ子ができあがってしまった。わくわく楽しい将来をちゃんと地に足をつけて建設的に考えたら絶望することもなく、そのために今すべきことを見出せるのだろう。わくわくしているから目の前の現実も面倒じゃなくて行動に移せるんだろうな。そうなりたい。

あと人間は身体だけじゃなくて心理的にも現状を維持する働きをするらしい。ホメオスタシス(恒常性)のコンフォートゾーン(快適な領域)を守ろうとするとかなんとか。恵まれた環境で不自由もしてない快適な領域にいるから、無理して変えなくったっていいって本能的に現状維持に入ってる状態。ここまでぬくぬく生きてこられたのまじ奇跡かってぐらいマイナスなこともプラスなことも大してなかったな。いやぁ、ありがたいことに本当に恵まれてんな私。だからこうしてつらつら文章書いてやろうと思っても、ホメオスタシスを解除してコンフォートゾーンを移動させないとまた三日坊主で終わる。なんてこった。ちょっとこれは長くなりそうだから、別記事にして書こうかな。ちらっと読んだだけだから全然詳しいこと知らないし。頑張れわたし、ちゃんと書いて公開するんだぞ。

とりあえず現状維持に心は働いてしまうので、ちょっと大きな夢を見て本気で望むことでコンフォートゾーンを現状から動かすこと。そのために環境を変えてみたりキラキラな将来のイメージを具体的に想像したりすることが必要になってくる訳だ。

 

 

「自分の立ち位置を正しく見るために、もっと外の世界を、いろんな人を見る」

好きなものもやりたいこともなりたいことも人より得意なことも、あるはずだけど自信をもって言えない。周りの目を気にするのもあるし、中途半端な完璧主義と人との関わり少なめで生きてきたせいか世間一般ではなく有名なプロフェッショナルと比べようとする。経験値が低すぎて比べる基準がおかしいし知らなさすぎる。だから私なんて大したことないって思ってしまって何も言えなくなる。だけど好きに明確な基準なんてないから自分の気持ち次第だし、得意なことも全然できてねーし馬鹿じゃないの?って言ってくるやつと仕事じゃなければ付き合う必要もない。別に周りの顔色を伺って私ってこれ好きって公言してもいいよね?得意とかできるって言って大丈夫なレベルよね?っておどおどしなくていい。社交ダンスだってめちゃくちゃ自信ないけど一応A級に昇格したんだから結果はどうあれ多少自慢したっていいんだよね?自己肯定感も上げていかないとなぁ。褒められたこととか、すごいって言われたこと、前と比べてできるようになったこととかも大事にしないとね。上ばっかり見てても疲れるだけだよね。自分を見つめることも大事だけど、判断基準を作るためにも周りを見ることも大事なんだなって。外に出たら傷つくこともあるだろうけど、意外とそんな程度でいいのかってこともあるから。周りに言わせたら私は結構こだわり強いところがあったりするらしいし。そう言う部分をもっと、うざくならん程度に主張できるようになりたい。

 

 

 

「旅に出る。自分の価値観を作る。」

人に会う、本や映画や漫画の登場人物や作者とか何でもいいから他の人の考え方に触れて価値観を作り上げていく。さっきの自分の立ち位置を正しく見るためにも比較するものを多く持つ。そのために必要なこと。夢を見るにも現実的な目線っているよね。これはできるかできないか。

周りがいい人で優秀な人が多いし、過去にあった出来事をいつまでも引きずっているせいか自己肯定感が低いらしい。特に彼氏なんてハイスペックすぎて時折比べてすごく凹む。だから比べる対象は適切にしないとしんどいだけだし、私より何も考えなくて何もしてなくてダメな人はいっぱいいるらしい。上だけじゃなくて下とか横とか、もっと色んなところを見ないといけないらしい。幸い、私はダメな自分に気付けたから十分えらいってさ。持ってるものも多い。だからそれを大事にしろって。てかそもそも他人と比べてないで過去の自分と比べたらって。私はここ数年でちょっとは変われたから。もう相対評価の学生時代は終わったんだから、世の中昨日よりちょっとでも良かったらそれでOKな加点方式なんだって。失敗しても減点されることないし別に誰かが採点しているわけでもないから自分がよければそれでよし。周りの目なんか気にしないで、私はこれが好き!こうなりたい!って叫べるぐらいになりたい

 

 

〜その他〜

私は今までなりたくないものや嫌いなものははっきりしているけれど、なりたいものや欲しいもの、好きなものはぼんやりしていた。

幼少期は容姿や鈍くてどんくさいことを馬鹿にされたり笑われたりして過ごしてきたから、そうされないようにって頑張って生きてきた。それから融通の利かない眉間にしわの寄ったBBAにはなりたくないって思って生きてきた。でもそれってしんどいんだなって。否定的な目標っていうの?どんな一般的でまともな容姿になって周りに馬鹿にしたり笑ったりする人がいなくなっても終わりが見えない目標だから永遠に頑張り続けるしかない。BBAにはどのみちなるんだから、どんなBBAになりたいかを考えたらいい。幸いにも私の周りにはお手本となるようなマダムがたくさんいらっしゃる。

だけど人前に出られる容姿になって、社会に出て働いて家事もできて一人でも生きていけるようになるって目標にしたらできてるじゃん、十分じゃん。他のことに目を向けてもいいじゃんって。他にやりたかったことできるじゃんって。気が楽になったしワクワクしてきた。もっと楽しく生きていいんだなって。そういうことかって。

 

今までの癖で否定的に物事を見てしまうので、自分の肯定的な価値観と向き合うところから始めてみることにする。できたことノートも、自分の肯定的な部分に目を向けるためのものなんだって思ったらすごく価値がある気がしてきた。私は何が出来たら嬉しくて、達成感があって大事にしているのか。そこからやりたい事とか好きなものとか、見つけていきたい。些細なことでも大事にしていきたい。